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VICTORIOUS☆KOBE

VICTORIOUS☆KOBE

設立の経緯・2

-ヴィッセル神戸、設立の経緯・2- J開幕、川崎製鉄サッカー部誘致


1992年。神戸市はプロサッカーチームの誘致を発表、水面下で全日空を母体とする
横浜フリューゲルス(1999年1月消滅。横浜マリノスと合併、現・横浜Fマリノス)と交渉を行うが条件面で決裂。
「市民の手で神戸にJリーグチーム誕生の機運を盛り上げよう」。
1993年8月5日、三宮・北野坂のレストランに、神戸の産婦人科医・益子和久氏、サッカー解説者で
元日本代表の細谷一郎氏らサッカー愛好者があげた産声は、彼らの仲間を通して、地元サッカーファンの間に瞬く間に広まった。
本命と言われたヤンマー(現・セレッソ大阪)も、その会合直前に大阪を本拠地に置くことを発表したばかりだった。
誘致発表以来、市から景気のいい話が表面化しないことに、サッカーファンの市民から焦りにも似た声が上がったのだ。
「行政は行政に任せるとして、我々の手でも何かできないかと、手をこまねいていた人間が寄り集まったんです。
こういう時は市民パワーが意外に大きな波になるんですよ」と益子氏は振り返る。
この集まりが、その年の暮れに誕生する、「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会 (通称・オーレ!KOBE)」に繋がっていく。

※未確認ですが横浜フリューゲルス、ヤンマーのほかに三菱自動車(現・浦和レッズ)にも誘致を持ちかけていたようです。
 浦和レッズの歴史を調べると、元は1950(昭和25)年に神戸に本社を置く「中日本重工業サッカー部」。
 その後1952(昭和27)年に新三菱重工業神戸サッカー部と改称、
 1958(昭和33)年に東京本社にサッカー部を移転、
 1964(昭和39)年に三菱重工業サッカー部、
 1990(平成2)年に三菱自動車工業サッカー部を経ています。

 今は浦和のクラブですが、元は神戸が発祥の地。
 神戸のサッカー関係者らが浦和レッズに誘致話を持ちかけてもおかしくないですね。


署名活動
1994年、オーレ!KOBEによる署名活動(神戸市・元町商店街)

Jリーグが開幕し、熱狂が日本中を駆け抜けた1993年末、12月5日。
神戸市中央区の神戸市医師会館で開係者200人を集めて「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会」
(通称・オーレ!KOBE)の設立総会が行われた。
代表には皆木吉泰氏(神戸市医師会会長)が座ったが、実質上の運営は、同市在住の産婦人科医で、
5人の中心的存在だった益子和久副会長が担当した。「この日、プロチーム誕生は近いと直感した」と益子氏は言う。
設立総会には、神戸市、兵庫県の体育行政関係者約20人に招待状を送付したが、ほぼ全員が出席。
会の趣旨などを熱心に聞き入る姿に確かな手ごたえを感じていたからだ。ホームタウン制を敷くJリーグは、
地元の官・民・財が一体となった盛り上がりに留意する。『地元による地元のためのJ』が大義名分だけに、
「行政側も、官民一体での機運の盛り上げ方を必死で模索していた矢先だったのだろう」と益子氏は、振り返る。
市民の立場で「署名運動」を展開した「オーレ!KOBE」は、翌年暮れには、23万8000余人という
膨大な数の署名を集めるなど、行政をサポートする役割を果たした。
もっとも、当時、行政サイド、特に「2002年W杯」の招致を進めていた神戸市が
オーレ!KOBEに興味を示したのには、別の理由があった。

めざせJ!川鉄サッカー部 川鉄VS京都 
1994年9月1日、第3回JFL第19節・川崎製鉄VS京都パープルサンガ(神戸中央球技場 現・神戸ウイングスタジアム)
この試合、8月にJリーグ準会員に承認されたばかりの京都サンガに5-1と快勝!

ゴール!
当時の川崎製鉄サッカー部のユニフォームは赤色


1992年にプロサッカーチームの誘致をブチ上げた神戸市は、過去には本命と言われたヤンマー(現・セレッソ大阪)や
横浜フリューゲルスに「逃げられた」事もあって、候補を川崎製鉄に絞り水面下で交渉、
その詰めの作業の真っ最中だった。川鉄はチーム自体は岡山県倉敷市。だが、本社は神戸市。
昭和41年に創部。平成3年度の天皇杯ではべスト8。JFLでは16チーム中で中位を争っており、
当然補強は必要だが、Jを狙うには条件は十分。というより、選択肢が川鉄しかなかったというのが実情だった。
「川鉄との交渉が決裂したら、地元の市民チームを寄せ集めるぐらいしかない状況だった」と市政関係者も打ち明ける。
そんな中、「オーレ!KOBE」の設立は、川鉄を説得する材料としては絶好の切り札。
神戸市が興味を示して当然だったのだ。
川鉄側も「運営面の保証があれば、地元への貢献の意味でも渡りに船」(地元関係者)だった。
そんな両者の思惑が一致し、94年3月、川鉄側が誘致を承諾。
地元最大手企業のダイエーが主力スポンサーとして名乗りを上げ、
6月30日には、運営会社「株式会社神戸オレンジサッカークラブ」(資本金10億円)が誕生した。
ダイエーのカラーであるオレンジから付けられた名前であった。
しかし、わずか半年後。「あの日」がやってくる・・・

運営会社発足記者会見1 運営会社発足記者会見2
1994年6月、株式会社神戸オレンジサッカークラブ発足記者会見の模様


~おわり~ 
次回からは「ヴィッセル神戸、J昇格への道」



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